「監査報告の展開」の紹介(その10 最終回)
前回に引き続き、D.R. Carmichael 博士とAlan J. Winters 博士の共同執筆による「監査報告の展開」(Evolution of Audit Reporting)を拙訳により紹介する。最終回の今回は、1980年代初頭におけるコーエン委員会の勧告に基づく監査報告の展開に関する物語である。
画期的なできごとⅩ―もう一つの7年間の渇望(an itch)
1972年改訂以後の7年間、監査基準審議会(the Auditing Standards Board (ASB))は、改訂された標準報告書について再び検討を開始した。この検討の推進はコーエン委員会の勧告に起因した。委員会は、一部は調査研究に依存し、一部は集会での調査や規定上の調査に依存して、次のように記述した。
監査人とその作業の利用者のコミュニケーション-特に監査人の標準報告書-が不十分であるという証拠に満ちている。…最近の調査は、多くの利用者が監査人の役割と責任を誤解しており、現行の標準報告書が混乱を増長させていることを示している。
したがって、それがASBの新たな審議の対象とされた1972年改訂に対する検討の原因となったことのほとんど同一の理由だった。
拡大した調査、公聴会および審議の後、ASBは(1980年に)改正報告書の公開草案を発行した。勧告された報告書は次のとおりであった。
19xx年12月31日現在の添付されているABC会社の貸借対照表および関連するその日に終了する事業年度の損益計算書、留保利益計算書と財政状態変動表は経営者の陳述である。監査は全体としての財務諸表に重要な虚偽表示がない(free of material misstatements)かどうかに関する合理的であるが絶対的でない保証を提供すること(to provide reasonable, but not absolute, assurance)が意図されている。我々は、一般に認められた監査基準に準拠して上述の財務諸表を監査した。これらの基準の適用にはテストおよびその他の手続の種類、時期と範囲の決定ならびにそれらの手続の結果の評価に際して判断が求められている。
我々の意見では、上述の財務諸表は、一般に認められた会計原則に準拠して、19xx年12月31日現在のABC会社の財政状態および事業年度の経営成績および財政状態の変動を表示している
現行様式からの主要な変更は次のとおりだった。
・ タイトルに独立のという文言の追加
・ 財務諸表が経営者の陳述であることの主張(assertion)の追加
・ 「監査は全体としての財務諸表に重要な虚偽表示がないかどうかに関する合理的であるが絶対的でない保証を提供することが意図されている」という記載の追加
・ 「検証した」という文言を「監査した」という文言への取替え
・ 「(一般に認められた監査基準)の適用にはテストおよびその他の手続の種類、時期と範囲の決定ならびにそれらの手続の結果の評価に際して判断が求められている」という記載を範囲区分に含めた。
・ 意見区分から「適正に」の文言の削除
・ 会計原則の適用の継続性への言及の削除
いくつかの改訂案が1972年に検討されたものと同じだったため、これらの報告書の局面が変更されなければならないという合意があったものと思われる。合意のないものはどのように変更が行われなければならないかということに関係する。ASBは改訂様式に対するコンセンサスに到達するに際して監査手続委員会よりも成功していない。
ASBは公開草案に対する空前の数のコメントを受領した。変更案のそれぞれは一部の人々にはメリットがあるが、総体での変更の効果は改善とは明らかにみえなかった。公開草案は、報告書案の監査の実施に際しての監査人の責任を変更しないし、意見形成の基礎を改めないことを強調したにもかかわらず、多くのコメント者および最終的には審議会メンバーは、報告書案が監査人の責任を減少させる取組みとみえると判断した。報告書への全体的な反応は報告書があまりにも消極的だというものだった。
多くの変更案が反対に直面したにもかかわらず、意見区分の「適正に」の文言の削除には長年の論争が煮詰まっていた(boiled down)。「適正に」を残すことを支持するもっとも多くのコメントは、GAAPの不正確という観念(the notion of GAAP’s inexactitude)と監査人の判断を伝える良い方法となっているということだった。他の人々は、「適正に」の文言によって監査人の報告書が財務諸表の是認(裏書)のように思われないようにする(make the auditor’s report seem less like an endorsement of financial statements)と考えているため、削除に反対した。さらにその他の人々は、「適正に」が一般公衆に対してとともに裁判所に対して意味があり、除去が明瞭よりも混乱を招くと考えた。
「適正に」の除去を好ましいと思った人々は、報告書の混乱の主要な源泉だと考えた。その語は監査人が意図されているよりも多くの責任をとることを含意していると感じた。つまり、提案された用語は、監査人が事実上二つの意見-適正性に関する意見とGAAPへの準拠性に関する意見-を形成することを提案していると感じた。その他の除去を好ましいと思った人々は、用語が無益であるため冗長か非常に漠然としているかのいずれと感じた。
改正案の重要な要素は、「適正に」の用語の厳密さに欠けることが致命的な欠陥(a fatal fault)または取替えのきかない長所(irreplaceable virtue)かどうかということだった。最終的に、審議会の多数は「適正に」を残すことがよいと思った。この好みの見解では、審議会は、意見区分に「適正に」を残すのであれば、範囲区分の改訂を検討する価値がないと決定した。審議会は、更なる審議が変更コストを保障するための報告書の著しく十分な改善になると見込めない(unlikely)と考えた。
画期的なできごと??
監査人の標準報告書はこの33年間主要な部分では変更がないままだった。標準報告書が利用者に理解されていないことおよび監査人の役割と責任をよくコミュニケーションをとるために改善されることに広範な合意があるように思えるにもかかわらず、現状維持(the status quo)が持続している。なぜか?
一つの理由は、報告書がどのようによりよい理解とコミュニケーションを達成することを言葉にしなければならないかに関する激しい反対(the vehement disagreement)である。これは報告書の改訂への最後の二つの取組みからのようである。
その他のあまり明白でないと思われる理由は、報告書の重要な目的が利用者に監査人の役割と責任を伝えることかどうかに関して反対があるということかもしれない。監査人は報告書の伝達上の質に対してよりも報告書の防御的な質に対して関心がある。現行の報告書の言葉は裁判の判決文において解釈され、結果が知られている。読者は、報告書の重大さを十分に理解できなくとも、文言に少なくとも慣れている。より良いコミュニケーションから監査人にほとんど直接の価値はないが、報告書が変更されたときには未知のコンセンサスに対するたくさんのエクスポージャーがあるかもしれない。
プロフェッションではない関係者から報告書改訂の要求はない。過去30年間にわたって報告書が改正されずにいること(the dormant nature of the report)は、読者に報告書をシンボルとしてみさせる原因となっている。そのシンボルを改める点の提案は、監査人が自分たちの責任を再定義し、その責任の一部を他のものにシフトさせることに関心を有しているプロフェッション以外の関係者に対する慎重な調査に基づく(receive from)。報告書は、プロフェッションの台頭の頃のそれよりもより多く明らかになっている(visible)。報告書の変更はもはやプロフェッションの領域だけにとどまっていない。
次の監査報告における画期的なできごとは財務諸表に対する監査人の報告書の改訂に焦点が当てられないであろう。代わりに、報告書が現在含まれていない財務情報をカバーするよう拡大されると思われる。補足情報や現在価値の財務表示のような領域が考えられる。唯一の安全な賭けは、(報告書の)進展はまだ続くということである。
以上が「監査報告の展開」(Evolution of Audit Reporting)の紹介である。この論考が1982年に執筆された論考であることに注意が必要である。その後、1988年の監査基準書の大改定により今日の監査報告書の原型が成立している。その後の展開は、会計不正への監査の対応をそれまで以上に強化することを求められていることに起因していることを忘れてはならない。今日の監査報告・監査報告書の変革の議論の根底にはこの論稿に示されていた問題と同様の問題があることに留意する必要があろう。
画期的なできごとⅩ―もう一つの7年間の渇望(an itch)
1972年改訂以後の7年間、監査基準審議会(the Auditing Standards Board (ASB))は、改訂された標準報告書について再び検討を開始した。この検討の推進はコーエン委員会の勧告に起因した。委員会は、一部は調査研究に依存し、一部は集会での調査や規定上の調査に依存して、次のように記述した。
監査人とその作業の利用者のコミュニケーション-特に監査人の標準報告書-が不十分であるという証拠に満ちている。…最近の調査は、多くの利用者が監査人の役割と責任を誤解しており、現行の標準報告書が混乱を増長させていることを示している。
したがって、それがASBの新たな審議の対象とされた1972年改訂に対する検討の原因となったことのほとんど同一の理由だった。
拡大した調査、公聴会および審議の後、ASBは(1980年に)改正報告書の公開草案を発行した。勧告された報告書は次のとおりであった。
19xx年12月31日現在の添付されているABC会社の貸借対照表および関連するその日に終了する事業年度の損益計算書、留保利益計算書と財政状態変動表は経営者の陳述である。監査は全体としての財務諸表に重要な虚偽表示がない(free of material misstatements)かどうかに関する合理的であるが絶対的でない保証を提供すること(to provide reasonable, but not absolute, assurance)が意図されている。我々は、一般に認められた監査基準に準拠して上述の財務諸表を監査した。これらの基準の適用にはテストおよびその他の手続の種類、時期と範囲の決定ならびにそれらの手続の結果の評価に際して判断が求められている。
我々の意見では、上述の財務諸表は、一般に認められた会計原則に準拠して、19xx年12月31日現在のABC会社の財政状態および事業年度の経営成績および財政状態の変動を表示している
現行様式からの主要な変更は次のとおりだった。
・ タイトルに独立のという文言の追加
・ 財務諸表が経営者の陳述であることの主張(assertion)の追加
・ 「監査は全体としての財務諸表に重要な虚偽表示がないかどうかに関する合理的であるが絶対的でない保証を提供することが意図されている」という記載の追加
・ 「検証した」という文言を「監査した」という文言への取替え
・ 「(一般に認められた監査基準)の適用にはテストおよびその他の手続の種類、時期と範囲の決定ならびにそれらの手続の結果の評価に際して判断が求められている」という記載を範囲区分に含めた。
・ 意見区分から「適正に」の文言の削除
・ 会計原則の適用の継続性への言及の削除
いくつかの改訂案が1972年に検討されたものと同じだったため、これらの報告書の局面が変更されなければならないという合意があったものと思われる。合意のないものはどのように変更が行われなければならないかということに関係する。ASBは改訂様式に対するコンセンサスに到達するに際して監査手続委員会よりも成功していない。
ASBは公開草案に対する空前の数のコメントを受領した。変更案のそれぞれは一部の人々にはメリットがあるが、総体での変更の効果は改善とは明らかにみえなかった。公開草案は、報告書案の監査の実施に際しての監査人の責任を変更しないし、意見形成の基礎を改めないことを強調したにもかかわらず、多くのコメント者および最終的には審議会メンバーは、報告書案が監査人の責任を減少させる取組みとみえると判断した。報告書への全体的な反応は報告書があまりにも消極的だというものだった。
多くの変更案が反対に直面したにもかかわらず、意見区分の「適正に」の文言の削除には長年の論争が煮詰まっていた(boiled down)。「適正に」を残すことを支持するもっとも多くのコメントは、GAAPの不正確という観念(the notion of GAAP’s inexactitude)と監査人の判断を伝える良い方法となっているということだった。他の人々は、「適正に」の文言によって監査人の報告書が財務諸表の是認(裏書)のように思われないようにする(make the auditor’s report seem less like an endorsement of financial statements)と考えているため、削除に反対した。さらにその他の人々は、「適正に」が一般公衆に対してとともに裁判所に対して意味があり、除去が明瞭よりも混乱を招くと考えた。
「適正に」の除去を好ましいと思った人々は、報告書の混乱の主要な源泉だと考えた。その語は監査人が意図されているよりも多くの責任をとることを含意していると感じた。つまり、提案された用語は、監査人が事実上二つの意見-適正性に関する意見とGAAPへの準拠性に関する意見-を形成することを提案していると感じた。その他の除去を好ましいと思った人々は、用語が無益であるため冗長か非常に漠然としているかのいずれと感じた。
改正案の重要な要素は、「適正に」の用語の厳密さに欠けることが致命的な欠陥(a fatal fault)または取替えのきかない長所(irreplaceable virtue)かどうかということだった。最終的に、審議会の多数は「適正に」を残すことがよいと思った。この好みの見解では、審議会は、意見区分に「適正に」を残すのであれば、範囲区分の改訂を検討する価値がないと決定した。審議会は、更なる審議が変更コストを保障するための報告書の著しく十分な改善になると見込めない(unlikely)と考えた。
画期的なできごと??
監査人の標準報告書はこの33年間主要な部分では変更がないままだった。標準報告書が利用者に理解されていないことおよび監査人の役割と責任をよくコミュニケーションをとるために改善されることに広範な合意があるように思えるにもかかわらず、現状維持(the status quo)が持続している。なぜか?
一つの理由は、報告書がどのようによりよい理解とコミュニケーションを達成することを言葉にしなければならないかに関する激しい反対(the vehement disagreement)である。これは報告書の改訂への最後の二つの取組みからのようである。
その他のあまり明白でないと思われる理由は、報告書の重要な目的が利用者に監査人の役割と責任を伝えることかどうかに関して反対があるということかもしれない。監査人は報告書の伝達上の質に対してよりも報告書の防御的な質に対して関心がある。現行の報告書の言葉は裁判の判決文において解釈され、結果が知られている。読者は、報告書の重大さを十分に理解できなくとも、文言に少なくとも慣れている。より良いコミュニケーションから監査人にほとんど直接の価値はないが、報告書が変更されたときには未知のコンセンサスに対するたくさんのエクスポージャーがあるかもしれない。
プロフェッションではない関係者から報告書改訂の要求はない。過去30年間にわたって報告書が改正されずにいること(the dormant nature of the report)は、読者に報告書をシンボルとしてみさせる原因となっている。そのシンボルを改める点の提案は、監査人が自分たちの責任を再定義し、その責任の一部を他のものにシフトさせることに関心を有しているプロフェッション以外の関係者に対する慎重な調査に基づく(receive from)。報告書は、プロフェッションの台頭の頃のそれよりもより多く明らかになっている(visible)。報告書の変更はもはやプロフェッションの領域だけにとどまっていない。
次の監査報告における画期的なできごとは財務諸表に対する監査人の報告書の改訂に焦点が当てられないであろう。代わりに、報告書が現在含まれていない財務情報をカバーするよう拡大されると思われる。補足情報や現在価値の財務表示のような領域が考えられる。唯一の安全な賭けは、(報告書の)進展はまだ続くということである。
以上が「監査報告の展開」(Evolution of Audit Reporting)の紹介である。この論考が1982年に執筆された論考であることに注意が必要である。その後、1988年の監査基準書の大改定により今日の監査報告書の原型が成立している。その後の展開は、会計不正への監査の対応をそれまで以上に強化することを求められていることに起因していることを忘れてはならない。今日の監査報告・監査報告書の変革の議論の根底にはこの論稿に示されていた問題と同様の問題があることに留意する必要があろう。
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