2019 監基報701 読み解き(その1)

はじめに
 企業会計審議会(金融庁)は、平成30年(2018年)7月5日に「監査基準の改訂に関する意見書」(以下、「意見書」という。)を公表し、「監査上の主要な検討事項」(Key Audit Matters: KAM)を導入しました。これに伴い、日本公認会計士協会は2019年(平成31年)2月27日に監基報701「独立監査人の監査報告書における監査上の主要な検討事項の報告」(以下、「監基報701」という。)を公表しました。
 新たな制度の導入であるため、監基報701の読み解きに先立って、監査基準の改訂およびその趣旨について確認し、その改訂に参考とされた国際監査基準(ISA)701の制定までの経緯とその趣旨を確認しておきます。

1. 懇談会の提言
 企業会計審議会は、意見書の「監査基準の改訂について」の「一 経緯」において、「近時、我が国では、不正会計事案などを契機として監査の信頼性が改めて問われている状況にあり、その信頼性を確保するための取組みの一つとして、財務諸表利用者に対する監査に関する情報提供を充実させる必要性が指摘されている」としています。
 この「指摘」は、平成27年(2015年)10月に設置された「会計監査の在り方に関する懇談会」(金融庁)(以下「懇談会」という。)が平成28年(2016年)3月8日に公表した「会計監査の信頼性確保のために」において、「会計監査をとりまく環境の変化や最近の不正会計事案の要因等を踏まえ、会計監査の信頼性を確保するために必要な取組みについて」行った幅広い議論を取りまとめた「提言」です。ここに記されている「最近の不正会計事案」は、平成27年(2015年)春に発覚した東芝による会計不正です。この社会に大きな衝撃を与えた会計不正による監査に対する信頼が失墜したことに対応するための懇談会の設置ですが、会計不正発覚から約半年後の設置という金融庁の対応の速さに驚愕したことを覚えています。それだけこの会計不正が社会に与えた衝撃が大きかったということです。
 懇談会は、会計監査の信頼性確保に向けて講ずるべき取組みとして五つの柱に整理し、その「(2) 会計監査に関する情報の株主等への提供の充実」における「(2) 会計監査の内容等に関する情報提供の充実」の「②監査報告書の透明化等」において、「例えばイギリスでは、会計監査の透明性を高めるため、財務諸表の適正性についての表明に加え、監査人が着目した虚偽表示リスクなどを監査報告書に記載する制度が導入されている」とし、EUも同様の制度を導入する予定であり、アメリカにおいても導入に向けた検討が進められているとして、「いわば『監査報告書の透明化』について、株主等に対する情報提供を充実させる観点から、我が国においても検討を進めるべきである」と提言しました。この提言により、監査報告書の透明化についての議論がはじまりました。
 監査報告書の透明化について企業会計審議会は、「我が国を含め、国際的に採用されてきた従来の監査報告書は、記載文言を標準化して監査人の意見を簡潔明瞭に記載する、いわゆる短文式の監査報告書であった。これに対しては、かねてより、監査意見に至る監査のプロセスに関する情報が十分に提供されず、監査の内容が見えにくいとの指摘がされてきた」(「監査基準の改訂について」の「一 経緯」)としていますが、後述する国際監査基準(ISA)701の制定に際して機関投資家からの主張であることに留意が必要です。

2.監査基準の改訂
 企業会計審議会は、平成30年5月に公開草案を公表し、平成30年(2018年)7月5日に「意見書」を公表して監査基準を改訂して、上記の「提言」や指摘がされてきた中、「主に世界的な金融危機を契機に、監査の信頼性を確保するための取組みの一つとして、監査意見を簡潔明瞭に記載する枠組みは基本的に維持しつつ、監査プロセスの透明性を向上させることを目的に、監査人が当年度の財務諸表の監査において特に重要であると判断した事項(以下「監査上の主要な検討事項」という。)を監査報告書に記載する監査基準の改訂が国際的に行われてきている」ことに鑑み、「こうした国際的な動向を踏まえつつ、我が国の監査プロセスの透明性を向上させる観点から、監査報告書において「監査上の主要な検討事項」の記載を求める」(「監査基準の改訂について」の「一 経緯」)制度を新たに導入しました。
 監査基準は「監査報告書における『監査上の主要な検討事項』の記載は、監査人が実施した監査の透明性を向上させ、監査報告書の情報価値を高めることにその意義があり」(「監査基準の改訂について」の「一 経緯」)、次のような効果が期待されるとしています。
 ・監査プロセスに関する情報が財務諸表利用者の監査の品質の評価の新材料となり、監査の信頼性の向上に資すること
 ・財務諸表利用者の監査や財務諸表の理解が深まるとともに、経営者との対話が促進されること
 ・監査人と監査役等の間のコミュニケーションや、経営者との間の議論を更に充実させることを通じ、コーポレート・ガバナンスの強化や、  監査の過程で識別した様々なリスクに関する認識が共有されることによる効果的な監査の実施につながること
 後述するように、ISA701の制定によって監査報告書の拡充が図られた目的は、利用者に対するコミュニケーション価値および監査報告の目的適合性を高めることにあるとされています。監査基準の掲げる監査報告書に監査上の主要な検討事項(Key Audit Matters; KAM)を記載することよる効果は、記載された後に生じるものであり、それ自体がKAMの記載を促進するものではないと解します。
 また、我が国におけるKAMの記載に関する議論が、東芝事件を契機とした「懇談会」の提言「会計監査の信頼性確保のために」に基づいて開始されたこともあって、監査の信頼性確保あるいは監査の品質の向上と結び付けようとする考え方が根強いように思われます。
 たしかに、ISA 701の制定は2008年のリーマンショックの引き金となった2007年にフランスの銀行に発生した多額の損失による衝撃を契機とした欧州における会計監査の信頼失墜を契機としていますが、監査プロセスの透明化を向上させるために監査報告書におけるKAMの記載を求めたものであることに留意が必要です。
 監査報告書におけるKAMの記載-監査プロセスに係る情報提供-による「監査報告書の透明化」によって、監査の信頼性確保を目的としているといえます。しかし、「提言」が主張するような不正会計を契機とした監査の信頼性確保ではありません。それゆえに監査基準は、ISA701と同じく、KAMの記載の意義が監査の透明性を向上させることと、監査報告書の情報価値を高めることにあるとしています。

3.ISA701制定の経緯
 2015年1月15日に国際会計士連盟(IFAC)の国際監査・保証基準審議会(International Auditing and Assurance Standards Board: IAASB)は、最終公表(Final Pronouncements)「監査済み財務諸表に対する報告-新設・改定された監査報告基準および関連基準の改正(Reporting on Audited Financial Statements - New and Revised Auditor Reporting Standards and Related Conforming Amendments)」(以下「最終公表」という。)により、ISA 701「独立監査人報告書における重要な監査事項に関するコミュニケーション(Communicating Key Audit Matters in the Independent Auditor’s Report)」(以下「ISA 701」という。)を新たに制定しました。
 この最終公表には、監査報告書に関する一連のISA 700、ISA 705、ISA 706の改正とともに、ISA 570「継続企業」とISA 260「ガバナンスを担う人々とのコミュニケーション」の改正が含まれています。これらのISAは、2016年12月15日以降終了事業年度の財務諸表の監査から適用されています。
 ISA 701の制定までの経緯は、最終公表と一緒に公表されたIAASBスタッフによる「結論の基礎(Basis for Conclusions: BC)」および2013年7月25日に公表された「監査済み財務諸表に対する報告:国際監査基準の新設および改定案(Reporting on Audited Financial Statements: Proposed New and Revised International Standards on Auditing (ISAs))」(以下「公開草案」という。) に際して公表された「趣旨説明(Explanatory Memorandum; EM)」によれば、監査報告書の改善についての検討は、2008年の金融危機により判明した不十分な監査への対応として、以下のように続けられてきました(EM 5およびBC 2)。
 ・ 2009年9月 標準監査報告書に関する利用者の理解(user perceptions)に係る調査研究の公表
 ・ 2011年5月 検討資料「監査人報告の価値の向上:変更オプションの調査」の公表
 ・ 2012月6月 コメント募集(Invitation to comment; ITC)「監査人の報告書の改善」の公表
 ・ ITCに示された方向性に対する世界ラウンド・テーブル(3回)および追加的なフィードバック活動(additional outreach to solicit feedback)の実  施
 ・ 監査報告の新規構想(auditor reporting initiatives)についての政策決定者および各国の基準設定母体に係る継続的なモニタリングと話し合い   (interaction)の実施
 ・ 2013年7月 公開草案の公表
 ・ 2015年1月 ISA 701の新設・関連ISAの改正の公表
 公開草案公表までの活動の結果、IAASBは、監査人報告の利用者からのシグナルが「変革が必要である」と明瞭である(EM 6)として、監査人報告の変革が監査の質および利用者の理解に積極的な便益を有している(EM 7)として公開草案を公表しました。また、公開草案からISA 701への修正に際して、「実務可能な範囲にまで、KAMの概念を支持しない人たちの、特に企業について監査人が『第一次情報』(original information)をコミュニケーションすることへの懸念に対応するように努め、可能な限り企業に特有なものとするようにKAMの記載に関する必要性に対応するように努めた」(BC 16)としています。
 このように、IAASBが監査報告書の大改正を行わなければならなくなった最大の契機は、2008年の金融危機の引き金となった2007年に発覚したフランスの銀行の多額の損失を早期に識別できなかった監査への信頼の失墜であり、その根っこには多額の損失を蒙った機関投資家の監査への不満・不信があったと解します。その不満・不信は、監査報告書が定型化した文言のみで、財務諸表の合格・不合格の判定としての意見だけでは情報不足であるということでした。
 このような機関投資家の不平・不満に対応するための監査報告書にKAMを記載することに対するコメントの多くは、財務諸表の解釈に際して利用者を支援するための情報を提供することは、監査人ではなく、経営者およびガバナンスを担う人々の役割であることは明らかであるため、監査人が当該情報の発信者となることに強く反対しました。また、監査報告書において監査人が企業について第一次情報(original information)を提供することの可能性について懸念が表明されていた(EM 37)ことに留意が必要です。

4.監基報701の範囲
 監基報701は、その範囲に関連して、「監査上の主要な検討事項の報告の目的は、実施された監査に関する透明性を高めることにより、監査報告書の情報伝達手段としての価値を向上させることにある。監査上の主要な検討事項の報告により、想定される財務諸表の利用者に対して、当年度の財務諸表監査において監査人が職業的専門家として特に重要であると判断した事項を理解するのに役立つ追加的な情報が提供され、監査の透明性を高めることができる。また、監査上の主要な検討事項の報告は、想定される財務諸表の利用者が企業や監査済財務諸表における経営者の重要な判断が含まれる領域を理解するのに役立つ場合がある」(2項)としています。
 監査人が監査報告書に監査上の主要な検討事項(Key Audit Matters: KAM)を記載することが、監査プロセスの透明化を高めることは理解できますが、監査報告書の情報伝達手段としての価値を向上させることが十分理解できません。監査報告書は、これまで、監査意見を表明する手段であるとともに監査人の責任を限定する手段であると説かれていました。新たに情報伝達手段を追加することなのでしょうか。
 そのため、ISA 701を参照すると、”to enhance the communicative value of the auditor’s report”(監査報告書の伝達価値を高めること)です。これは、前述した、監査報告書の情報価値を高めることであり、監査報告書の「手段」についての記述ではありません。
 監査報告書の機能・手段について改訂監査基準は、監査報告書が監査人の意見を表明する手段であるとともに監査人が自己の意見に関する責任を正式に認める手段であり、監査報告書における「監査上の主要な検討事項」の記載が財務諸表利用者に対して監査人の実施した監査の内容に関する情報を提供するものであるため、「監査上の主要な検討事項」の記載が監査報告書における監査意見の位置付けを変更するものではない(改訂監査基準 二 1 (1) 監査報告書における位置付け 参照)としていることから、2項の規定によって、新たな監査報告書の手段が追加されたわけではないと解します。
 また、些細なことですが、二番目と三番目の文節にある、「監査上の主要な検討事項の報告」は、ISA 701では”communicating key audit matters”であり、「情報伝達」を「報告」に替えていることも十分理解できません。テクニカル・タームは統一的に使用すべきと考えます。
 ところで、二番目の文節の「監査人が職業的専門家として特に重要であると判断した事項」は、ISA701では”those matters that, in the professional judgment, were of most significance”(監査人の職業専門家としての判断における最も重大な事項)であり、若干ニュアンスが異なると思いますが、後述するKAMの定義にも用いられている用語であることから、同義または代替する用語と解します。
 この用語に関連して、「ある事項が重要であるかについて、監査人は、職業的専門家としての判断に基づき、それぞれの状況に応じて相対的に決定する。重要であるかどうかは、当該事項の相対的な規模、性質及び影響並びに想定される財務諸表の利用者の関心など、金額的及び質的な要素を考慮して検討される。この場合、監査役等とのコミュニケーションの内容及び程度を含め、事実及び状況の客観的な分析も考慮される」(A1項)として、「重要」(significance)であるかどうかについての考え方を示していますが、実務における具体的な指針とはなっていません。監査人の判断によって重要であるかどうかを決定することと解します。
 なお、最終文節の「監査上の主要な検討事項の報告は、想定される財務諸表の利用者が企業や監査済財務諸表における経営者の重要な判断が含まれる領域を理解するのに役立つ場合がある」(2項)ことは、KAMの記載による効果であり、記載そのものに関する規定ではありません。

 次回では、2項に関連した財務諸表の利用者その他について読み解きます。

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