監査における経営者の誠実性(その3)

今回は、1988年のAICPA監査基準書の大改正によって、リスアプローチが導入され不正への対応が強化された監査基準書第53号についてみていきます。

監査基準書第53号
監査基準書第第16号(SAS 16)公表後も貯蓄貸付組合(S&L)や証券会社等の多くの企業倒産が発生し、それに伴う不正事件が絶えなかったため、監査に対する社会的不信が強まるとともに、倒産した会社の監査を担当した会計事務所は監査責任を問う訴訟を提起され、敗訴または和解により多額な損害賠償金を負担しました。

その結果、これまでにない危機感をもったAICPAは、1985年にアメリカ会計学会、財務担当経営者協会、内部監査人協会および全米会計人協会と協力して、「不正な財務報告に関する全米委員会」(The National Commission on Fraudulent Financial Reporting,通称トレッドウェイ委員会)を組織しました。委員会は、1987年にレポート(鳥羽至英・八田進二共訳「不正な財務報告-結論と勧告」白桃書房1991年)を公表して、公開会社に対する勧告、公認会計士に対する勧告のみでなく、その他にも多くの事項を勧告しました。なお、このレポートの勧告を起因としてCOSOから「内部統制の枠組み」というレポートが公表されました。

AICPAは、明らかになった「期待ギャップ」の解消のために勧告を全面的に受け入れ、1988年に監査基準書第53号(SAS 53)「誤謬と不正の発見と報告に係る監査人の責任」(The Auditor’s Responsibility to Detect and Report Errors and Irregularities)を含む、九つの監査基準書を同時に公表しました。

SAS 53における誤謬と不正の定義は、若干の語句が異なっているもののSAS 16とほぼ同じでした。不正(irregularities)は、資産の流用と不正な財務報告から構成されることを明らかにして、次のように規定しました。
「監査人は、誤謬及び不正によって財務諸表に重要な虚偽表示が含まれているかもしれないというリスクを評価しなければならない。その評価に基づいて、監査人は財務諸表に重要な影響を与える誤謬および不正の発見に関する合理的な保証(reasonable assurance)を提供できるように監査を立案しなければならない。
財務諸表の重要な虚偽表示のリスクの評価に際して、監査人は、誤謬と不正の特質およびそれらの相互作用を理解しなければならない。この理解に基づいて、監査人は、適切な監査手続を立案、実行して、その結果を評価する。
不正の特質、特に偽造や共謀を伴う不正のため、適切に立案、実行した監査であっても、重要な不正を発見できない場合がある。…また、意図的でない虚偽表示の発見に有効な監査手続が、意図的な虚偽表示に有効でない場合がある。
重要な誤謬または不正を発見するという合理的な保証を達成するために、監査人は、(a)監査手続の立案、実行および結果の評価に当たって正当な注意を行使し、(b)適切なレベルでの職業専門家としての懐疑心を行使しなければならない」(AICPA Professional Standards as of June 1, 1991, AU Section 316.05‐08)

SAS 53は、財務諸表上の重要な虚偽表示となる可能性のある誤謬および不正のリスクを評価して、リスクの兆候が認められたときには、重要な虚偽表示となる誤謬および不正を発見できるように監査計画の立案することを監査人に要求しました。リスクアプローチの導入です。

これにより、従前のように監査の限界を理由に、監査人がこの責任を回避することはできなくなりました。しかも、偽造や共謀による不正(多くの場合、隠蔽を伴う)に対しても監査人は、職業専門家としての懐疑心をもって、その発生可能性を検討して、必要に応じて監査手続を実施しなければならないことを明らかにしています。

また、SAS 53は、経営者の誠実性に関する評価についてもトラッドウェイ委員会の勧告を全面的に受け入れ、職業専門家としての懐疑心(professional skepticism)について、次のように全面的に改定しました。
「一般に認められた監査基準に準拠した財務諸表監査は、職業専門家としての懐疑的態度に基づいて計画され実施されなければならない。監査人は、経営者が不正直であると仮定したり、まったく疑問なく正直であると仮定してはならない。むしろ、監査人は、前期監査の結果から入手した情報を含む、監査人が観察した状況や入手した証拠資料について、財務諸表に重要な虚偽表示がないかどうかを判断するために、客観的に評価することが必要であることを認識している。
経営者が財務諸表の重要な虚偽表示となるような方法で部下に取引を記録させたり情報を隠蔽するよう命令できるため、経営者の誠実性は重要である。監査人は、経営者の主張(assertions)を裏付けることが困難なときには、経営者の誠実性に関係する(リスク)要因について検討することの重要性が増すことを認識しなければならない。しかし、経営者が不正直であると仮定することは、監査人の経験に反している。それ以上に、そのように仮定したならば、監査人は、関与先から入手するすべての記録や文書の信憑性を疑ってかかることが必要となり、すべての経営者の陳述を裏付ける(corroborate)ために、説得力のある証拠(persuasive evidence)ではなく、断定的な証拠(conclusive evidence)を要求することになってしまう。このような条件での監査は、不合理な監査コストとなり、かつ、実施不可能である」(同上書 AU Section 316.16‐.17括弧書き引用者)

SAS 16が「反証が無いかぎり、経営者は誠実である」とした経営者の誠実性に関する前提について、SAS 53は、「経営者は正直であるとか、不正直であるとかを仮定しない」ことに改定しました。したがって、監査人は、経営者の誠実性を前提にして監査を実施できなくなりました。

しかし、SAS 53は、上記引用の後半部分のように、経営者が不正直であると仮定することが合理的でないことを明らかにしていたため、実務上、実質的には経営者が正直であると仮定して、重要な虚偽表示のリスクの兆候に気づいた場合のみ要求された監査上の対応を取ることが容認されており、監査実務上の実質には影響しないと理解されたようです。

このように理解されたのは、SAS 53が財務諸表の重要な虚偽表示がないことを積極的に発見することを要求しなかったからと推測されます。前述したように、SAS 53は、トレッドウェイ委員会の勧告、すなわち不正な財務報告のリスク評価および不正な財務報告の発見について合理的保証を提供するための監査計画の立案に関する要件を示すこと、不正な財務報告の可能性を積極的に検討し、そのリスクを認識するための具体的な監査手続の立案に責任を負うこと、また、経営者の誠実性を当然のこととして監査の前提におくのではなく、職業専門家としての懐疑心によって経営者が誠実であるかどうかを確かめること(同上訳書 pp.60‐61 参照)という勧告に基づいて修正されたからだと思われます。

リスクアプローチが導入された以後も、監査人は経営者を誠実である、正直であると前提して監査を実施していたようです。

次回は、ちょっと目先を変えて、我が国の平成3年(1991年)改訂監査基準についてみることにします。

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